小学年高学年に使用する漢字で書いてます。学年で習った漢字は書き直すこと

講談社 コロンブス    少年少女伝記文学館6巻 の感想文です。

「コロンブスを読んで」(当時の文章を20052月修正)

 

 

この本は「わかいうちに一度は読んでおいたほうがいい。人生の教訓を含んでいる」と父に言われてこの本を手に取りました。また僕は、学校の社会の時間でコロンブスについて習ったけど、1492年8月3日にコロンブスは探検の為スペインを出発し、1012日新世界に上陸したことぐらいしか知識がなかったので、この機会にももっとくわしく知りたいと思って伝記を読んでみることにしました。

コロンブスは、少年時代にイタリアの貿易都市ジェノバに住んでいました。学校には行かなかったが、さまざまな国の船が出入りして西と東のめずらしい物資が運ばれてくるジェノバの港こそ、コロンブスにとって生きた人生の学校でした。そこでは自由と冒険に満ちたあこがれの世界があり、運と実力しだいでは成功する道がひらかれていました。こういった環境がコロンブスの海への冒険心をはげしくかりたてたのです。

コロンブスはなによりも海を愛していたのです。

「この風だ。この波のうねりだ。これがわたしのゆめをはぐくんでくれる」これはコロンブスが第一回航海につぶやいた言葉だそうですが、海への感謝や挑戦など海を愛するコロンブスの本心がよく込められていると思います。またコロンブスは信念の強い人でした。航海の援助を最初にポルトガル王にたのんだが、ことわられ、次にスペインに行きラ=ラビダ修道院でイザベル女王に会うきっかけを作りました。このとき修道院長に語った言葉として「わたしはこじき同然となってますが計画はあきらめません。このラ=ラビダ修道院の人たちこそ、わたしの本当の友達だ。」とあります。これこそ意思の強さがあらわれていると思います。

 ところでなぜコロンブスは西へ航海したのでしょう。それは次の二つの理由が考えられます。1つは地理学者トスカネリの影響があります。トスカネリは世界は球体であるととなえアフリカからの東回りの道よりもずっと短い西の海路でスパイスの地であるインドへ達することができると主張しました。もちろん当時、アメリカ大陸の存在は知られていませんでした。2つ目はマルコ=ポーロの東方見聞録の影響です。東方見聞録には黄金の国ジパングについて書かれており、コロンブスは大変興味を持ちました。そして黄金とスパイスを求めて西へ航海した結果、彼はぐうぜんに新大陸発見を発見しました。しかし歴史的な栄誉にも関わらず、目指したジパングの黄金もインドのスパイスも手に入らず、発見した植民地の経営事業にも失敗しました。

 だがこの日を境に世界は大きく変わりました。この時代は航海者による地理上の発見があいついだため、大航海時代とよばれるようになりました。

 現在、僕たちが食べているジャガイモやトマト、トウモロコシなどは新大陸から伝わったものであり、歴史の面白さについて考えさせられました。大航海時代、バスコ==ガマ、マゼランなどについての歴史についてももっと知りたいと思いました。