生命と身体 生と死の哲学 (東海大学 開発工学部 講義 レポート)

98 課題論文2

「コンピュータ倫理教育のあり方」

 

はじめに

いまやコンピュータはめずらしくもなんともない位に我々の中に浸透している。しかし、すべての人々に受け入れられている訳ではなく問題も多い。

情報社会について考える場合、「コンピュータの導入で社会はどうなるのか」という議論が多いが、これはおかしい話である。社会がテクノロジーに合わせて変化することが前提となっている。本来なら社会にテクノロジーを合わせるべきである。

これは、そもそもコンピュータとは何かわかってないのであろう。

そしてコンピュータがわからない人には、わかっている人が何を言っているかわからず、コンピュータがわかっている人には「わからない」という人の事がわからない。両者の間の溝は深まるばかりである。

そこで、これからの情報社会に向けての「コンピュータ教育」というものが重要となる。

「教育」とは倫理、思想、生きていくための技術と考えている。

では「コンピュータ教育」とはどのようなものだろう。コンピュータ教育について考察していこうと考える。

 

1 コンピュータ教育の現状把握と考察

 

 「学校改革」にコンピュータを導入しようという考えがある。

 コンピュータが生徒一人一人の特性に合わせた個別指導をしていくべきというわけである。またマルチメディアによる情報力を高めて、自ら情報を積極的に発信する子供を育て、ネット等を通して世界に情報を発信させ、学校が情報発信の拠点とするべきだというのである。

つまり高度情報社会に対応させて「学校教育」をつくる必要があるという考えである。

このような学校改革はいわば技術革新であり、教育産業の振興と、企業と家庭を結びつけた「教育の市場化」によって、形だけの「スリム化」を達成しようとしているに過ぎない。

このような考えには、現在、我々が抱えている教育的問題に対する何らかの対応とか、新時代に対する教育理念という視点は、含まれていないように思える。

たんに情報技術が発達したので教育にも活用すべきだ、という主張、つまり、情報社会において情報の活用と選択能力身につけ、かつ情報技術を不正に利用したり、マナーに反する利用をしない為の情報倫理を教える「適応教育」の線上にある。

これでは従来の問題を拡大させる恐れがある。例えば「コンピュータが生徒一人一人の特性に合わせた個別指導をする」というのは、これまでの管理主義的、詰め込み教育の効率化にしかならないのである。ただ技術的に、近年、発達したCAI技術(Computer-Assisted Instruction)をそれとなく示したものである。

 

最近では教授法の中にコンピュータを利用するという考え方、いわゆるCAIということが盛んに議論され、急速に広がりつつあるように思われる。

このCAIの利点と思われるのは、システム化された学習プログラムに従って、自分の能力に応じて段階的に学習できるということ、繰り返し何度でも学習できるということ、さらに学習効果が客観的に測定できるということ、また端末のコンピュータの数だけ一度に多人数の教育ができるということなどである。しかしこうしたいくつかの利点がある反面、その限界も指摘される。第一に、その学習プログラムの内容、質が問題である。第二に、思考過程よりも結果重視の学習になりやすい。その理由は、パターン化、画一化、二者択一思考法といった欠点をコンピュータと人間の対話はどうしても持っているからである。

(北樹出版  高月義照 著「人間学」135項参照)

 

このCAI技術が積極的に活用されると、遅かれ早かれ、市場に出回り、家庭でも使われるだろう。これは、教育の市場化を意味する。

このように、CAI技術が不要な力添えをして、かえって害になってしまう。

「学習」というのは、他人との交流や様々な幅広い経験抜きに、ディスプレイから一方的に注入される知識の蓄積だけになってしまう。教育的視点からも倫理面からも、評価できるものは少ない。

 

 あとがき

 

コンピュータ教育を、「コンピュータに代表されるテクノロジー全体を教育的視点から見直し、改善し、活かしていく為の教育」とする立場を、ここでは「人間教育から見たコンピュータ教育」と呼ぶことにする。

(岩波新書  佐伯 胖 著「新・コンピュータと教育」26項参照)

 

これは、コンピュータ技術が我々の学習を支援する道具という考えであろう。コンピュータがあるから、学ばなければ為らないのではなく。学びたいことがあるからこそ、コンピュータを使うべきなのだ。

今日、人々はコンピュータとそれがもたらす莫大な情報に振り回されている気がする。ここから脱出する為にも、我々は、そもそも「情報社会」が可能にしたものとは、何だったのか一から考えなければならない。

 

 

 

参考文献

 

北樹出版  高月義照 著「人間学」1997331日 増補版第2刷

岩波新書  佐伯 胖 著「新・コンピュータと教育」19975月20日発行